2009年9月10日
ガーナの独立まで
この地域が注目されるのは、紀元前2000年紀のキンタンポ文化の出現からである。新石器時代後期に位置づけられるこの文化の人々は、森林-サヴァンナの境界地帯に住み、交易を行いつつも狩猟と採集によって暮らしていた。2世紀頃からハニ遺跡で製鉄がおこなわれたことがわかっている。
13-16世紀
13世紀から16世紀はベゴーをはじめ幾つかの町がサハラ交易の一端を担ったともおもわれるが、ボノ・マンソに見られるように地域的なものにとどまった町もあったと思われる。また、西方からアカン人、モシ人、エウェ人、ガン人が移住し、先住民と対立しその後圧迫していった。
15世紀にはポルトガル人が到来し、エルミナなどに城塞を築き、奴隷貿易の拠点とした。その後、金が産出することがわかると「黄金海岸」と呼ばれるようになった。
17-20世紀
その後、ドイツ人やデンマーク人、イギリス人、オランダ人が来航し、金と奴隷の貿易を奴隷制が廃止される19世紀まで続けた。大西洋三角貿易により多くの人々がアメリカ大陸に連行され、1776年に独立したアメリカ合衆国においては、労働力として使われることとなった。
17世紀には奴隷貿易で力を蓄え、ヨーロッパ人から購入した銃火器で周辺の民族に対して優位に立ったアシャンティ人のオセイ・トゥ・トゥがアシャンティ王国を建設し、大いに繁栄した。
イギリス植民地
しかし19世紀に入り、アフリカの植民地化が進んだことや、南北アメリカのプランターにとって奴隷がコスト面で採算の取れない存在になったことにより奴隷貿易が衰退すると、アシャンティ王国の財政基盤は揺らいだ。アフリカの植民地化を目論んだイギリスは、1824年からの四次に渡るアングロ=アシャンティ戦争の末に、1902年にアシャンティ王国を滅ぼした。
こうしてこの地は「英領ゴールド・コースト」としてイギリス帝国に編入されたが、19世紀末から20世紀半ばにかけてに民族主義の気運が高まり、ナイジェリア、シエラレオネなど「英領西アフリカ」の各地域が同調した。
宗主国のイギリスは第二次世界大戦に連合国の1国として勝利したものの、その国力は衰退した。これを受けて1947年には独立を目的とした「黄金海岸会議」が設立され、クワメ・ンクルマが1949年には会議人民党を設立した。部族間の争いを越えて独立を標榜する会議人民党は人々の広範な支持を得て、1951年の選挙では圧倒的過半数を占める第一党となった。
独立
1956年にはンクルマの下に自治政府が成立し、翌1957年に隣の英領トーゴランドと合わせてガーナ共和国として独立を達成し、ブラック・アフリカ初の独立国となった。独立当初のガーナはイギリス国王を立憲君主に頂く英連邦王国であったが、1960年に共和制へ移行し、ンクルマが初代大統領となった。
独立後はンクルマは汎アフリカ主義を掲げて、冷戦下において社会主義圏(東側諸国)やギニアとの友好関係を強化し、財政強化に努めたが、債務超過など失政を招き1966年にクーデターで失脚した。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
ガーナはヨーロッパの宗主国から独立した国家です。この独立までに何があったか考えたいです。
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