2008年02月22日
名古屋城
イキテーナー!
名古屋城(なごやじょう)は、尾張国愛知郡名古屋(現在の愛知県名古屋市中区・北区)にあった城郭で、現在は名城公園として整備されている。尾張徳川家17代の居城。金鯱城、金城ともいう。
伊勢音頭にも「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」と歌われ、大坂城、熊本城とともに日本三名城に並び称される名城である。天守に取り付けられた金の鯱(金鯱(きんこ))は、城だけでなく名古屋の町の象徴にもなっている。城地は織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の那古野城(なごやじょう)の故地で、この城はのちの名古屋城二の丸の位置にあったとされる。
清洲城は長らく尾張の中心であったが、関ヶ原の合戦以降の政治情勢や、水害に弱い清洲の地形の問題などから、徳川家康は慶長14年(1609年)に、九男義直の尾張藩の居城として、名古屋に城を築くことを決定。慶長15年(1610年)、西国諸大名の助役による天下普請で築城が開始した。
普請奉行は滝川忠征、佐久間政実ら5名、作事奉行は大久保長安、小堀政一ら9名が任ぜられた。縄張は篠山城に酷似することから、同城の縄張を行った藤堂高虎によるといわれる。石垣は諸大名の分担によって築かれ、中でも最も高度な技術を要した天守台石垣は加藤清正が築いた。天守は作事奉行小堀政一、大工頭中井正清と伝えられ(岡部又右衛門が大工頭であったとの説もある)、慶長17年(1612年)までに大天守が完成する。
清洲からの移住は、名古屋城下の地割・町割を実施した慶長17年(1612年)頃から徳川義直が名古屋城に移った元和2年(1616年)の間に行われたと思われる。この移住は清洲越しと称され、家臣、町人はもとより、社寺3社110か寺、清洲城小天守も移るという徹底的なものであった。
寛永11年(1634年)には、徳川家光が上洛の途中で立ち寄っている。
(以上、ウィキペディアより引用)
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